怒りと運動のリズム

一月ごろから担当していたプロジェクトが紆余曲折七転八倒四苦八苦諸々あって出来つつあるらしいというような連絡が、現場からいろいろな人を経由して、あった。

ボスの構想したコンセプトに従って担当した架構体が出来上がるのを見るとさすがに多少の興奮があった。しかし自分の構想したものが現実に立ち上がるほとんど性的な興奮のために幼少期に選択したこの職能で経験する初めてのそれにしてはまあそれなりかなと思う。しかし今日は良い日であったと気分を捏造して記憶しておこうと思う。実際の今日は朝早くから昼過ぎまでゼミで、他人の発表を聞きながら落書きとメルカリ探索に興じ、たまたまゼミで出てきた参考文献を購入したりして、でも帰りに寄った図書館で現物を見ておそらく長いこと積むことになるだろうと思ったりした。図書館が5時までしか開いていないのでとりあえず家に帰り日没後ジョギングをした。数ヶ月続けたジョギングも累計200キロを超えて何のためにやっているのかという思いも消えてきたかなりいい感じの今日この頃、でも漫然とした抑鬱に運動が効くみたいなクソ道徳は可及的速やかに根絶されるべきであり、3キロくらいまでならキロ5分ペースで走れるようになっても相変わらずぼんやりとした抑鬱が消えることはない。ジョギング中はだいたい自分を慰めるようなことばかり思っていてあまり生産的ではないのだが、今日はあまりにも人間にイライラしたことがあったので、それについて思っていた。自分の無礼を他人の怒り具合で測る他律的で甘え切った人間がいるのは生存戦略として最適化された存在として分かるのだが、自分はごく薄い自我でなんとなく幸せに人生を送る方がリアリティなくて、コンセプト(もはやイデオロギーの方が正確かもしれない)ある感じの人生にしようと思ってきたので、ノーコンセプトで渡り歩く人の無礼は結構あり得ないと思う、まあどうでもいいのだが。とかなんとか思いながら走っていると本当に腹立ってくる、ほんとはどうでもいいのに腹立ってくる感じになる。不明確なイライラした気持ちがリズミカルな運動によって形を与えられて怒りが立ち上がってくるのマジ最悪体験だと思う、パルプフィクションでブルースウィルスが鈍臭いハニーバニーにイライラするシーンとか思い出すと絶対運動してるからイライラしなければならなくなっているのだとか思う、まあでもそれも良いことなのかもしれない、なんの感情の起伏もなく漫然と送る平穏な日々よりは、、、しかしそろそろ修論のテーマを考えないといけない。