最高の休学

やる気が起こらない、休学願を出したが別に大学に行く用事もあるし仕事もあるし学費がかからずに在籍しているだけの状態。

上記のように弊学は休学中の授業料が免除になるのだが、今年度は都合が都合のためスケジュールがかなり変則的で、休学前に在籍した直近までの学費を支払った上で教員の会議にかける必要がある、という条件を満たすために通常の学費支払い期限よりも3週間ほど早く納付する必要があった。経理課に行って振込用紙を発行してもらい早急に支払うだけなのだが、経理課の入っている建物は亡くなった名誉教授の作品で結構好きなので行く機会があれば積極的に行くようにしている。相変わらず馴染みの良いモダニズムの空間だった。おそらく時代的に仕方のないことなのだが設計上のモジュールと施工に使う規格材のモジュールが違い、ランダムに配置された幅広の出目地がそのズレを吸収するための表現になっているのではないかという去年の歴史研の修論は面白かった。歴史系の論文はともすれば現状追認的でコンセプトに欠けるものになりがちだなあと常々思っていたのだが、今年は歴史研との協働もしたしかなり認識が変わってよかった、コンセプトない人が一定数いるだけだった。まあどこでも一緒か。

最近『言語の牢獄』を読んでいるのだが、とにかく進まない。イメージを掴むのにめちゃくちゃ時間がかかるし知識不足でコンセプトが結像しないのでかなり難しい。でもだいたいこういう本に限ってあとがきに初学者向けとか書いてある。詩に関しては全く無学なのだが、文学に対する詩と建築に対する自分の立場はたしかに似たところがある、というか単にフォルマリズムなので勉強になる。ざっくり言えば80年代以前はけっこうラディカルにフォルマリズムに似たアプローチで、結局バブルと共に商業主義として世俗化、壊滅したところもあり、80年代以降はより世俗的なものを題材にしたアプローチがあって、それは現在まで脈々と続いているのだがやはり世俗化していて、ということがだいたいある。この場合の80年代以降というのは全く間違った名付けだが、世代論として語ることに政治的な価値しかなく本質的にはドライな時代認識として間接的に説明するしかない、ということに過ぎない。結局68年ということかとも思う。

本当は夏目漱石とかドストエフスキーとか読む夏にしようと思っていたのだが8月も終わってしまう。