根性論の地平

かなり日常的な記述行為をサボってしまった、半年間勝手にやってきた勉強会の成果を10月頭に公開すると勝手に決めて勝手に苦しんでいた、修士課程はマジで根性。

マジで根性ないと何もできなくなる、根性入れて遊んで根性入れて勉強しないと当然漫然と過ぎていく、2年くらいマジすぐ終わる。投機的な行動が猛烈に苦手なのだけど修士課程入ったときから意識的に遊ぶことだけは頑張った。特に映画は一度始まると2時間は感情入れないといけないのでかなり鍛えられた。映画観てる時まあそれなりに考えることもあるわけだけど身体的に座って一方向を向き続ける行為の頑張り度合いよりはどう考えても脳内が暇だから、結局2時間ぼんやり座っている状態。2時間ぼんやりするのマジ根性必要で、そういえば明日打ち合わせあるなとか図面描かなきゃなみたいな日常的な切迫感や漫然とした老いに対する恐怖みたいな抽象的な切迫感まで輻輳して襲ってくる、みたいな感覚ハタチくらいまであったけど打ち勝てるようになった。

 

最近政治的なものについて考えてたのだが、結局批評性みたいな言葉がいかにマジックワードになっているかを発見しただけになった。建築の言説では○○○が批評性を殺した訳なのだが、そこで殺された批評性は実はなんなのかよく分かられていない、おれもよく分からない。多分それはポーズなんだけど時代的なモードみたいなのにかなり上手く乗っているなという認識ある、なんとかこれを打破したいのだけどリアリズムを捨て去ることで何か代替品が見つかっているわけでもない。ひとまず、とにかく手当たり次第やるしかないということだけが、勉強会で得た60年分の言説からの唯一本質的な教訓であった。