久々にギャラリー行った

 会期が日曜までだし書こうと思っていたが忘れていた、先日TOKAS本郷に行って、『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』の展覧会を観た。

 やはりこの種の展示は難しい、そもそもリサーチ結果として本が出ているのだから、その内容を展示するというのがどれだけ本と違うのか、と思ったら本の刷り本を並べてあったのでそれなりにびっくりした、いやそれは嘘でTwitterでページが並んでるだけやんけみたいな呟き見てその内容は知っていた。

 

 詳しくないうえに専門でもないけれど恥を忍んでざっくり言えば多木浩二の写真はなにか言い表せないものを捉えようとするところがあると思う。例えばこの書評でも詳しく述べられている。

ちがう山をおりる 白い像

 つまり、この展覧会は多木浩二が撮ろうとした、ふとした瞬間に空間の中に表れる何か言い表しづらいものを、写真集の編纂という行為の中で探していった、というのがリサーチ結果ということになる。多木浩二の写真に表れるのはギョッとする視点から写された画面に出てくる奇跡的な図形や、日常的な事物をカメラや現像の操作によって非日常的に捉えることであり、この写真集の裁断前の状態を写すことでそれが追体験できた、というのが最後に提示される写真になっている。

 しかし建築を専門にする人や多木浩二の活動を追う人にとってはそのテーマはあまりに見出しづらいだろう、建築を専門とする同行者は明らかに社交的微笑を浮かべて会場を出た。単にコミュニケーション不足なのかもしれない、「多木浩二の写真」であり「篠原/伊東/坂本/白澤の建築空間」であるということを抜きにしてこれを見ることはなかなか難しいようである。