睡眠時間に関する覚書き
最近はとても難しい、いや難しくはないのだが大変悩ましい問題に直面している。
研究テーマの変更を提案されている。ボスから研究テーマが降ってくる、というのは一般的にあまりやる気のない人間に対して行われる施しであって、直接的に悩ましい問題とはなり得ないのが普通である。確かに自分は対して優秀な人間ではないけれど、今自分が直面している状態は、一般的に言われるようなテーマが降ってくるというのとは少し違う。正直他にやりたいことが多すぎるしあまり考えたくないので、書いて整理する。
ひとまず自分の取りうる立場は二つである、1)現在考えているテーマを継続する、2)ボスから降ってきたテーマをやる。非常に単純な二択なのだが、ここに付随する問題を整理する。
- もともとやりたいと思っていたテーマである。ドローイングの表現の問題、そして空間を表現するメディアであるとともに、表現すべき空間を構想するメディアでもあるドローイングを分析可能にしたい、というのが“戦略的”動機である。もともとこの分野は他大学(学閥によって研究の水準が極端に異なるというのもひどい話だがそもそも科学として怪しい分野なので仕方がない、弊学はそれなりに真面目にやっていると思う)ではできるかもしれないが、ほとんど批評の水準である。これを研究として(弊学の方法で)行うというのは、つまり全く新しい研究の手法をやるという茨の道ということになる、楽しそうである。
- ある作家の一般メディアにおける表現の問題、確かに興味があるし楽しくやることができるテーマである。もともとの動機とは異なるが、研究の方法も結論や目的もイメージできる手堅いテーマで学位をとっておくという“戦略”もアリだ。前述の通り1)のテーマは難しい、しかし本当に2)のテーマが簡単なのか?これはわからない。もちろん一般的な学位取得の難しさはあるし、その中では比較的論を立てやすいのかもしれないが、そのことが結局手堅いことなのかは判断できない、というか考えるだけ無駄である。なんにせよ興味のあるテーマである、弊研の研究や実践もそれなりに蓄積があるし、その作家を選ぶ私的な/環境的な理由も十分である、こちらも楽しそうである。
さてどちらを選ぶべきだろうか、2)をボスが提案したのは単に事務的な理由だろう。定年が近く、手元にある資料でしかできない研究の脈絡を絶えさせないようにする、というのがだいたいの理由ではないか。これは推測でしかないが、しかし客観的に考えたらまあ妥当な気もする。これに対し、自分のやりたいことを優先すべきだ、もしくは、経験のあるボスの考える方針に従った方が賢明である、などの意見は全くの無意味となる。1)でも2)でも自分は楽しめるし同じように取り組むことができると思う、そして1)でも2)でも学位の取得が可能かどうかは等しく分からない。
しかし、今後10年くらいはこの選択に左右される、と考えると結構重大な決断になる気がする。いくら社会から乖離しているとはいえ、乖離した所にもそれなりの論理がある。1)を選ぶということは広義のメディア研究をするということである。しかし目的がかなり原理に近い部分にあるうえに分析する材料は成果物である。つまり、その間にある実践のある側面に関して包括的な理論を組むということになり、後々の自分の実務に対する理論的背景とせざるを得ない。2)を選ぶということはすなわち作家研究をするということである。作家研究に興味はないのだが、大学の研究者になるというほとんどあり得ないキャリアパスを想定すると、これをさらに狭めるのはあまり賢明ではない。そして実務に関して直接的に役立つことはほぼないと言ってもよい、もちろんある作家の思考を徹底的に追跡することで得られるものは大きいのでそれでも良いのかもしれない。
つまりは研究者としての影響力を大きくする手立てがこの研究室にあまりないことに起因するのかもしれない。研究者として考えたら、ボス含め弊研の研究者たちはふつうもうちょっと学振とか出すんじゃないの?とか、もっと単著出したら?みたいな状態である。もちろん全員資格の有無はさておいて実務家でもあるので、いわゆるガチガチの研究者として生きていくという気がそもそもないために仕方ないことなのかもしれない。弊学は研究のスタイルが極端に硬派なのでできないが、他大ならもっと自由に「創造的」な論文を書いて自由な発想の著作も出している。でも今回の問題は結構ここの矛盾に起因していると思う。他の大学だったら学位論文とそれ以外のテーマで1)と2)どちらも研究成果にすることができるだろう。もちろん研究手法とかかる時間や制度の問題に限定した場合であるが、弊学では両立できない見込みが大きい(やったことのある人がいないだけかもしれない)。もしくは、ボスの定年があと5年先だったら、PDでどちらかをやるという前提でもう片方のテーマで学位取得を目指すことも可能かもしれない。なんで何かしらの尻拭いをしなければならないのか、と思わなくもないが、別にそれも苦痛ではないのでまだこれは問題ではない。これが苦痛に感じ始めてからが地獄であるので、避けた方が良いのかもしれない。
という感じでかかる問題を整理した。結論はまだ出ないが、よかった。これで連日の12時間睡眠に終止符が打たれると思うととても気分がいい。