読んだ

やっと思考しながら作業する日々になってきた、しかし今日は溜めていたウェブ記事をたくさん消費した。

 

空虚な中心としてのジョン・デイヴィッド・ワシントンの身体~人種映画としての『TENET テネット』(ネタバレあり) - Commentarius Saevus

自分がテネット見たときの感触と近く、面白かった。自分は他人の気持ちを想像する行為がめっちゃ苦手で、ということは他人が何考えてるかを想像するのも同じくらい苦手なんだけど、デザイナーとしてそれは最低なのでなんとかしたいよなとか思った。

ちょうど一年前グループワークは母語が違う人間でも考えてることが分かるようなコミュニケーションの状態/母語が同じでも考えてることが分からない状態を同時に経験できたのでよかった。いや全然良くないのだけど、まあモノ作ってしまえばそれベースにことが進むので、本音は単に「手を動かすのが面倒」に過ぎないみたいなところもある。

自分の思考や人格がおしまいなのが分かっているので、他人(無生物含む)がこう考えるはずだとかこう思うはずだとかこう振る舞うはずみたいな想定を公にすることに対して並々ならぬ抵抗がある、こういう気持ちとの闘争に人生が消費されています。

 

ダンディとキャンプ、笑いの技法——石橋貴明と有田哲平(1)|生まれなかった都市|note

バラエティ批評、ダンディとキャンプという言葉で明快にMCが位置付けられる。恥ずかしながらソンタグは読んだことないのだけど、こういう批評を書く人なのかと思ったりした。

そういえば多木浩二についてここ最近立て続けに考える機会があったのだが、やはり多木浩二は建築界に対して記号論現象学を紹介した、ということでいいのではないかと思った。ああいう批評家の存在はかなり重要なのだけど最近はあまりない、OOOくらいか?アメリカだな〜って思ってたけどヨーロッパでも論じられているらしい。

 

存在の耐えられない軽さ

そういえば一年くらい前に読んだ、『民族とネイション』も読んだことあったな。最近『私的所有論』に興味があって、余裕がなくて読んでないのだが、書評やコメントをネットで漁っており、そのときに出てきたのが塩川伸明で、懐かしい感じのウェブサイトが面白くて色々読んでしまった。『存在の〜』読んだときにも思ったのだが、やはり「キッチュ」というのが面白くて、イデオロギーにせよなんにせよそれがスタイルとして確立してしまうことに対する違和感のようなもの、ほとんど青春ですね。しかし最近観たり読んだりして面白いなと思うのはこういう人間の愚かさやどうしようもなさを描いたものになってきた。老いですね、てか『国のない男』でヴォネガットがそんなこと書いてたの思い出したりした。

 

まあウェブサイトも積読と同じで、開きっぱなしにしておいてどこから飛んだのか覚えてないくらいのときに読むと示唆があるっぽい。