極めて純粋な事実

最近とくによく分からない状態になっている、肩書きは修士一年なんだろうけども授業なんて週一回しかなかったし単位は取り終わってるから修論さえ書けば出られるけどちょろっと外国に行くつもりだしいわゆる就職なんて考えていませんし、職みたいな概念を適当にごまかしています。三日坊主、心のノートと多様性です。

今学期取ってた唯一の授業は宗教社会学で、心のノートを題材に初等教育における生命と愛国心の道徳教育を考えてた。だいたい2回くらいでそれぞれのテーマについて講義、のちにその必要性について議論みたいなアクティブラーニング的な形式の授業形態で、案の定議論が最悪だった。

自分は極めて消極的な理由からほぼアナーキストに近い思想に近づきつつあるんだけど、それもまあなんらかの共同体を前提とした甘えなんだよなと思ってて、しかし弊学の学生は完全な無思想で迫力あった。愛国心教育が必要かどうかみたいな議題で、必要派不必要派どちらも愛国心ないしは郷土愛みたいなのが価値を持つという感覚を共有しており、どちらにせよ同じような凡庸な結論に辿り着くんだけど、何より酷かったのは「正しい事実として歴史を教えます」みたいな驚天動地の主張が8割くらいあったことだった。

単に理工系は誰かの作った比較的厳密な公理系を前提としてるのでその厳密さを人文の領域にもアナロジカルに適用できると思っているだけだと思うんだけども、修士課程の学生でそのナイーブはヤバいんじゃないかと思わざるを得ない。

自分は周りがみんな正しい事実があるみたいな謎の宗教に帰依しているのが信じられなくて、やっぱり事実と評価みたいなことがあって事実があったとしてそれを選定するという評価を内在してしまう行為を避けられないんじゃないかとやんわりサジェストしたら、ふーんみたいな反応返ってきて最悪だった。議論の相手からの評価で点がつくので多分単位は落ちたと思う。

その中で自分が話してさらにふーんみたいなぼんやりリプライ貰った話で、紅白の嵐が最悪だった話した。紅白は星屑スキャットが最高だったMISIAに対して嵐は粗雑な地球観を提出してきて最悪の気持ちになって、多様な地球みたいな適当な全体性の説明から漏れ出てしまっているのがマイノリティなんだと思うんですけど、つまり多様性を語るのに多様な全体を語ることの不可能性があるよなみたいな気持ち提出した。愛国心教育で議題として設定されていた点で外国籍とかハーフとかの多様性があったのでミッツ・マングローブがいかにキマってたかを話したら狂人扱いされた、そういやこういう無自覚なことの暴力性ってあるよな〜みたいな悲しみが、あった。